「部分的にわかりやすい入門書」なら、あれこれ探せば案外見つかるものです。そういう本を何冊か利用することで、「1つの分野の全体像をざっと把握する」という作業は十分にできます。最近では、「試験に出そうな重要部分を膨らませて、興味を惹くような書き方をし、重要度の低い部分はあっさりと流す」という、いわば読者の立場になって作られた入門書が、増えてきています。具体的には、各種の予備校などが出している入門書などに、使いやすいものがあります。経済学や金融論のような、難しそうな分野でも、とてもやさしく書かれたテキストがたくさん出版されています。また、日本文芸社から数多く出版されている「面白いほどよくわかる」シリーズにも、いろいろな分野で優れた入門書があります。そういった本の中から、自分に合ったものを選ぶことをお勧めします。
大学がステータスであった時代の社会をステータス・ソサエティと呼ぶのに対し、どのような仕事ができ、どのように社会に役立つことができるかが重要視される社会をジョブ・ソサエティと呼ぶことにする。他の言葉で言い換えるなら、資格社会、生涯学習社会、とでもなるであろうか。このような社会では、物を与えられるような、受験を含む外からの動機付けによる学習は無意味となる。受験を動機とする受験勉強は、生涯学習に結びつかないことが多い。目的の学校に合格してしまったら、学ぶことをやめてしまう大学生が多いのを見れば、納得していただけると思う。大学に入学してから、そして卒業してからも学び続けるには、内発的動機付けが大切である。自分から学ぶ意欲を持ち、学ぶ喜びや楽しさを知らなくては、学ぶことは持続しない。学ぶ楽しさを子どもに身につけさせるには、あまり受験ということを意識させないようにしなくてはならない。ジョブ・ソサエティの時代は、受験の成功者=人生の成功者、という図式はもはや成り立たない。受験勉強をすることは悪くないが、それだけで燃え尽きてしまったら、これからの社会では相手にされないことを知ってほしい。
「受験」は大学、高校の入試を示す言葉でした。しかし、今では状況が変わっています。六年制の中・高一貫教育を実施している名門私立校では、中学校や高校の段階で、受験生が殺到しているのが現実です。最近では、さらに受験年齢が下がって「お受験」と呼ばれる幼稚園受験が関心事になっています。なぜ親たちは厳しい競争を知りつつも、子供を名門校に向かわせるのでしょうか。そこには親の虚栄心もあれば、エスカレーター式の学校で、子供に一回分の受験負担を軽くしてやりたい、と願う親心も働いているに違いありません。いえることは、動機は別として、名門校に向かわせる親たちの選択は、決して間違ってはいないということです。教育ジャーナリストの中には、全く逆のことをいう人もいますが、孟母三遷(孟子の母は、孟子を良い学校に入れたい、と住居を三回変えた)の例えがあるように、親の務めとは、子供のために良い環境を整えてやること。つまり、子供によい受験校を選択してあげることだと思います。