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ファッションの歴史を塗り替えてきたモード界の金字塔

クリスチャンディオールは、1946年、フランス、ノルマンディー生まれのクリスチャンディオール(1905〜57)が設立したブランド。当初ディオールは父親の希望で政治学を学んでいたが、20年代パリの芸術的な雰囲気に触れ、しだいに音楽、美術などに関心を持ち出しか。その後、画廊経営に携わるが、経営に行き詰まり、ルメソンをパリに開いたのは40歳を過ぎてからのことである。メソンを開いた翌年(47年)、最初のコレクションでファッション界における戦後の幕開けを告げたといわれる「ニュールック」(雑詰『ハーパースーバザー』の編集長により命名)を発表。大きくつきだした胸、細くくびれたウエスト、そしてそこから花びらのように広がるロングドレスは、戦時下で抑圧されてきた女性たちの精神を入れ、知人の勧めでファッションデザイナーへと転気に開放した。しかし、すぐに第二次世界大戦が勃発。その後、ディオールはチューリップラインを発表したため、ディオールが念願の「オートクチュライン、Aラインなど、次々に新しいラインを発表し、パリ、オートクチュールの黄金時代を築いていく。57年に旅先のイタリアで心臓発作を起こし、急逝したディオールの後を継いだのが、当時、弱冠21歳のイヴーサンロ上フン。その後、60年から89年までをマルクーボアン、89年から97年までをジャンーフランコーフェレ、そして現在はジョンーガリアーノが継いでいる。

グローバル化がことさら進んでいる業界

グローバル化がことさら進んでいる業界であることを踏まえれば、日本に進出してきている海外のアパレルメーカーや流通業も、日本ファッション産業の一翼を担っているといえそうだ。なお日本標準産業分類では、大分類「製造業」の「繊維工業」と「衣服・その他の繊維製品製造業」及び大分類「小売業」にまたがる。ひとくちにファッション産業といっても、糸を紡ぎ、織物を織るところから始まって、デザイナーがデザインし、パタンナーが型紙を作り、縫製して製品を作り、流通経路に乗せて店頭に並べ、消費者の手に届くまで、長い過程がある。かつて明解な区分けがあったが、コスト削減あるいは在庫管理、さらに情報収集及び発信などの便利性から、管理周辺分野に事業を拡大していくのはビジネスの常套手段。現在では素材産業から流通まで手がける企業も多くなった。

赤い絹に金糸で刺繍をほどこしたタブレット

ハンス・ホルバインが描いたヘンリー8世は、赤い絹に金糸で刺繍をほどこしたタブレット(フランス語ではプールポワンと呼ぶ)を着て、その上にジャーキンを羽織っている。このジャーキン、肩から袖にかけてたっぷりと詰め物をして誇張し、さらに身頃の部分には毛皮を貼ってある。ホルバインの精緻な筆は、素材の質感や刺繍の運針にいたるまで克明に描き出していて、当時の衣裳がはっきりと理解できる。タブレットは現在の長袖Tシャツに近く、チュニックが進化したものだ。初期は麻製でシンプルだったが、しだいに華美なものへと変化した。またジャーキンは提灯様の袖が付いた羽織状の服で、やがてコートに進化し、さらに今口のジャケットにいたる。フランソワー世については、ルーヴル美術館に残るジャンークルーエによる肖像画が有名だ。やや砂色がかったシルクと黒い素材を交互に組み合わせて縦縞を形成し、明るい部分にヘンリー8世同様、金糸で刺繍をほどこしている。ヘンリー8世と異なる点は、タブレットの襟元がヘンリー8世はきっちりと詰まっているが、フランソワー世の場合は、今でいうボートネックのようにやや大きく開いていることだ。